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20080622151007
引っ越しして約10日。
ピカピカで広々とした家での生活は快適です。

今まではお隣が大きなショッピングセンターで買い物に関しては新居は不便になりましたが、それでも車で沢山買い込んでも車からすぐ家の中に入れられるので楽ですね。


ちょうど1ヶ月前、母の肺炎が簡単なものではないと連絡を受け、母と会話ができる最後になるかもしれない、あのつらい選択と決断をしました。

私は日々姉からの連絡や情報の収集から、母の生命活動はとても近い将来終わることがわかっていました。

だから、その頃には日程が決定していた引っ越しと、どうぞ重なりませんようにという思いを持ちながら過ごしていました。

おかげさまであの前後10日間は目が回るほどでしたが、重なることなく済ませることができました。
唯一気力で生命のコントロールができるのかも知れないけれど、あの母の状態では気力など働くわけもなく、ただただタイミングのよさに驚きます。


あのままもう少し長くなると、私も落ち着いて就職活動ができないからと、今の研究所が引っ越すまでの7月まで契約を延ばしたのですが、先週紹介され訪問した研究所で是非ともと言うことで仕事も途切れずに決まりそうです。

自分が専門の微生物、食品化学、生化学とは畑違いの分野で迷いもありますが、歳も歳だし家から近いから頑張ってみようかなという感じです。

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未分類2008/06/22(日)15:08

自分ながら、、

20080618181414
呆れるようなばかばかしい話。

私のお友達は霊感が強くてよく亡くなった人が見えたり、人が亡くなる時感じると言います。
一方、私はそういう非科学的な事象は信じないし、感じたことなどもちろんあるはずもないです。

母がいよいよその時が近づいたと姉から聞いた時、もしかしたら一番血が濃い母ですから私も感じるのかもしれないと、脳の一部が期待しました。
勿論脳の大半は悲しみであったのですが。

しかしやはり何も感じる事はなく、姉からの電話でその時を知りました。

やっぱりね、
と不謹慎だけれどほっとしました。
もし感じたら今まで信じてきた事が覆される事になってしまうもの。

なんだかこんな時そんな事を考えている自分がおかしかった。
私も 母なら出て来てくれて構わないのにね。

新居でくつろぐエル


未分類2008/06/18(水)18:13

父の日

昨日は父の日でした。

ひと月程前の母の日はまだ母は入院すらしていなかったのです。
私は花の鉢植えとチーズケーキのセットを贈り、お礼の電話がかかってきたのが最後の電話での会話です。
それなのにもう母はいない。。

なんだかあっという間のような、ずっと昔のことのような。
人間の命も動物の命も、時に大変な力強さを感じますが、時になんともはかなさを感じるものです。


昨日の父の日、私は手紙と補聴器を買う為、足しにしてもらおうとお金を贈りました。

父は多少忘れやすくなっていますが、年相応なくらいだとおもいます。
しかし数年前から耳が遠くなり、最近ひどくなっています。
姉や甥っ子が会話が成り立たないことが多々で、それによりストレスがかかるようです。
急いでいるとき、大声で話せない場面で聞き返されることはつらいですよね。

だからといって父にきつく接するのはかわいそうですし、姉達も後味が悪い。

父に補聴器を勧めたけれど、
嫌だ
と言ったそうです。

葬儀が終わって、皆で父の話になった時、私からそれ用にお金を渡してしまえば、もしかしたら買いに行ってくれるかも~ということになったわけです。

父は昨日受け取って、どのようにおもったのかは分からないけれど、夜にお礼の電話がありました。


未分類2008/06/16(月)12:20

明日は引越し

明日は引越しです。
母が一番楽しみにしていてくれたのに、とても残念です。

昨日も実家から帰ると、週末できなかった分の片づけを深夜まで・・
ここの所実家との往復、引越し準備で疲れていることは確かです。
それでも、仕事を持っているし、ワンコや子どももいるし、やることが山積みなので悲しんでいる時間が少なくていいのかもしれません。

こちらに到着するや完全に引越しモードにかわりましたが、空いた時間があると、昨日も書いたのですが母のことよりも父のことを思います。

母のことを忘れるわけはありませんが、もう仕方ないのです。泣いたって怒ったって、母は戻ってこないし、病気になってからはできるだけのことはしてもらったのだから。
母の供養はもちろんだけれど、それよりも生きている人の生活を優先してあげたい。

子どもたちも私がころころと視線の先を変えるので笑っています。


私は信仰心がないし、喉仏が綺麗に残ってもたいそうなこととは思えないのですよ。
実家では喉仏だけが、特別の容器(??)に入れられて祭壇に見えるように飾られていたのですが。。

母の遺骨を見ても最初は
『こんなになってしまって・・』と思ったけれど、すぐに
『ここが大たい骨で、ここが骨盤、、、、骨って中はこんな構造なんだよ。』と娘に説明してしまいました。
甥っ子はそんな話を聞いてとてもじゃないけれど、そういう風にまじまじと見られないと言っていたけれど、
『骨を見る機会なんてそんなにないのだからしっかり見ておいたほうがいいよ。』
なんていう私は珍しい人なのかもしれません。


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告別式の翌日、お寺に行ってお経を上げてもらいました。
そのとき出されたお抹茶とお菓子。
それを写真に撮った(私たちは別室だったのでご住職もいらっしゃらなかったのですよ、もちろん)ので笑われました、甥っ子たちに。



未分類2008/06/12(木)14:57

父の涙

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通夜、告別式を済ませ、帰宅しました。
昨日は少し家の片づけを手伝いました。


日曜日、私が到着すると親戚、近所の方が集まっていました。
私はその中に入ると、ほんのしばらくですが、母の体をさすり声をあげて泣きました。
背中と布団の間に手を入れるとまだあたたかいのです。
もう8時間以上も前になくなったのに。


この3週間ほどで、母の死がとても近いうちに訪れることを覚悟していたので、思ったより冷静でいられました。
それでも、数々の場面で母の死を確認しながら涙しました。

納棺するとき、
家から葬儀場に出棺するとき、
通夜で母の一番仲良しのお友達とお話したとき、
喪主の挨拶で、姉の話を聞いたとき、
最後のお別れで棺にお花を入れるとき、
斎場で扉が閉められたとき、
骨になって出てきたとき・・・・


姉は強い人なのであまり涙する場面がなかったので、私一人目立ってしまいました。

それでも、母の死は脳が完全に今までの状況とともに整理しているので、いまさら帰ってきてほしいとか会いたいという感じではないのです。


かえって病床の母を思うときよりも亡くなった今の方が母に対する気持は楽になりました。



それよりも父の元気ない姿を見たり、これからのことをいろいろ心配するときの方が辛くなりました。
昨日も父が母の祭壇に向かってお経を上げたときの後姿を見ていたら涙があふれました。

私は生まれて初めて父の涙をみました。
父は最後の別れをするとき、そして骨になって出てきたとき、涙をぬぐっていました。
そんな様子を見ると母の死よりも辛い・・・

もちろん母の死がなかったら父の涙もないわけですが・・・・・


父はこの一ヶ月で今まで以上にやせてしまい、めっきり足腰も弱くなってしまったようです。
そんな様子を姉や甥っ子と見て心配はつきませんでした。


今日、地方で大学に通っている甥っ子と、私と娘(息子と主人は昨日帰りました)が実家からかえりましたが、それを見送る父は本当にさびしそうで
『これから日中は一人でさびしいよ。』
と涙をぬぐいました。
私はまたそんな父を見ると涙があふれてきました。


実家では庭のくちなしが満開でした。


未分類2008/06/11(水)19:34

涙の新幹線

20080608071904
新幹線をこんなに悲しい思いで見たのは初めてです。

母は先生の
「今日明日になるかもしれません。」
という言葉の通り、夜中に力尽きました。

昨日の時点でそのままついていてあげたかったけれど、何も用意していなかったし、子ども達、ワン達のことがあったので千葉に帰りました。

姉と甥っ子に母のそばにいてあげてね、と頼んで。


深夜姉からいよいよだと連絡を受けると、「苦しんでいない?」と聞きました。
幸い眠らせてしまっているのでそういうこともないようでした。

悲しいけれど、死の覚悟はもうとっくにできていました。
ステロイドで顔がパンパンにはれてしまった母、、
恐ろしい病でした。


未分類2008/06/08(日)07:18

安楽に

先生は大変感じの良い方で、母が「優しくて良い先生だよ。」と言っていたのが納得できました。
昨夜も午前3時まで病院にいらっしゃって、また今日も覗きに来てくださったようです。

先ほど病院から呼び出されました。
思った以上に昨日今日で状態が悪くなっていました。

私はこれ以上の治療を拒否し、ただ安楽にその時が迎えられるようにお願いしました。

今から新幹線に乗り、千葉に帰ります。


未分類2008/06/07(土)14:33

新幹線

品川駅を出た新幹線。
二週間あけて、また実家です。


未分類2008/06/06(金)18:00

難病

母の病気は難病指定されていました。
原因もはっきりと解明されておらず治療法も確立されていない病気、、、医療費も相当にかかる病気です。
どうも10万人に数人の発症らしいです。

こんな低い確率に当たってしまって・・・・宝くじの当選とどちらが当たりやすいのだろうと、ふとそんなことを考えてしまいました。
私の悪いくせです。



数日前に実家に電話したら父が出ました。
精神的な疲労が著しいようです。

『50年連れ添ったおばあちゃんがあんなでは本当にかわいそうだよ。
毎日見に行くけれど、何も良くなっていない様子を見てはがっかりして帰ってくるよ。。。』

と。
父は弱音を吐くような人間ではなかったので、そういう言葉を聞くのはこちらが辛くなります。

私は父までもどうかなってはいけないので、
『無理に見に行かなくてもいいからさぁ。車の運転も危ないし、お姉ちゃんと一緒に行きなよ。』

と声を掛けました。

明日仕事をほんの少し早退して名古屋に行きます。
夜遅くに、先生から話を伺うことになっています。

来週引越しを控え私も用事が多いので、土曜日には帰ってきます。


未分類2008/06/05(木)20:29

急性間質性肺炎

姉から電話がありました。
主治医に現在の状態について説明をしてもらったと。

病名が判明したということです。

『急性間質性肺炎』



私が帰省する前日、抗生剤が全くきかないという話を聞いて、
『まさかこれじゃないよね?!?!』
と恐れたそのまさかでした。


急性間質性肺炎(AIP)

急性間質性肺炎は、健康な人に急に発症する

予後不良の間質性肺炎である。

死亡率は60~90%で、多くは6ヶ月以内に死亡する。

すべての年齢層でおき、男女差もない。

症状は、発熱、悪寒、関節痛などがある。


中には、

『最悪の場合、発症2,3日で死亡』

とまで書いてありました。



先生は
『後、2クールの薬剤投与を予定しているけれど、その効果はあまり期待できない』
と言われたそうです。

そして、『この先、もし心臓が止まったら心臓マッサージを望むかどうかを聞かせて欲しい』
『会わせたい人があったら今のうちに』
と。

姉も私も心臓マッサージなど望みません。
心臓マッサージをするというその時点では、もう止まりかけているのですし、もし、それでまた動き始めたとしても、根本の治療は成功していないのですから、またすぐに同じことの繰り返しです。
意味のない延命だと2人は思います。

ただ生きていてくれさえすればいい・・・
なんて私も姉も思ってはいません。母も意識がなく生き続けることを望んでいるとは到底思えません。

私は後2クールの投与さえも意味があるのかと思ってしまいます。
諦めてはいけないとは思っても、そう思わざるを得ない状況です。
悲しいけれど、反対に母の意識がないのが幸いのような状況です。

母はあの時、自分がこんなに酷い病気だとは思ってもいなかったのです。
『薬で眠らされこの先意識が戻ることがなかったらかわいそう過ぎる』、と私は悲しくて辛くて、涙が流れましたが、今になって考えると、死の恐怖もなく眠ることができてよかったのかもしれません。


姉に電話で状況を聞かせてもらって、
『やっぱりあの時(薬で眠らせるそのとき)は一番辛かったね。』
と話しました。


未分類2008/06/01(日)23:02

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プロフィール

えるママ

Author:えるママ
この写真はかわいいエル。最愛のエルは2013年11月になくなりました。
現在はパパ、ママ犬が腎不全闘病中です。

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