その後・・・

母はその後、相変わらずだそうです。
気管切開をしてもし肺の状態が良くなれば意識レベルも上げてもらえるというかすかな願いはかなうこともなく、眠らされています。

変わらなくても治療はやめるわけにもいかないので、またステロイドの大量投与が今日あたりからされているようです。
そして新しい抗生剤も使われているのだとか。

入院して3週間、、、、



これだけ薬を変えて投与していても快方に向かわないという事態。
私も学生のころから、多少の生理学、病理学、微生物学を学んでいます。
こんな母を見ると、悲しいけれど覚悟せざるを得ないです。

先日も姉とそんな話しをしました。
姉も同じだと思います。

2人で
『甘い期待をして慰めあっても仕方がないね。』
と言い合いました。



『いつ何時そのときが来るかもしれない』
と子どもたちに話したら、
息子は
『家族が諦めちゃったらどうにもならないよ。』と。
娘は
『遠足で行ったところに神社があったからおばあちゃんのことをお願いしてきたよ。』と。

子どもたちの様に、ほのかな期待を持っていられたら、何かを信心できたらもっと楽なのかしら・・・


そんな重苦しい気持でも、こちらにいれば毎日やることは多く、仕事にも出かけます。
今日はエルと新居に出かけ、午後は子どもたちと買い物に出かけ・・・
新居ではリビングに置かれた置き畳がさびしそうです。
これは和室好きな母がきたら、ここで休んでもらえると思って入れたものです。

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未分類2008/05/31(土)17:51

気管切開

私は全く信仰心がありません。
神社仏閣に訪れてお参りはするけれど、心からという感じはないし、何かあっても『神様、仏様、、、、』なんて言葉は思いつきもしません。
子どもの受験のときもお守りをいただいてこようとも思いませんでした。
結果的には子どもがお参りするといったので連れては行ったのですが。笑



全ての事象は全て科学的であって、信仰からそれが覆るとは私の中では考えられないのです。



だから今回のことでも何が一番私を悲しい思いにさせるのかと考えると、母に話すことなくあの処置を施したことや、母が本当に楽しみにしていた私たち家族の新居への訪問ができなくなること、父や姉が大変な思いをしていること・・・です。


ただ私も何かを心のよりどころにしたりすることはないけれど、、やはり、
『どうぞ、体力が持って、回復できますように。』
とは何度も何度も繰り返しています。

私は科学的に出された数値を一番信用してしまうのですが、その数値だけを見ると現在の状態はとても厳しいのは分かっています。




たぶん今日、気管切開をして人工呼吸器をつけたはずです。
これは傷さえいえたら意識レベルを落としておく必要がないので、薬を切ることができるそうです。
薬で眠らせる必要がないので、うまくすれば先週あったときのまま、意識が回復するかもしれません。



未分類2008/05/26(月)20:21

気管内挿管

今日千葉に戻ってきました。
私もこちらの生活をほうっておくことはできません。

母には朝少しだけあって駅に向かいました。

あまり変化はないようです。


あの日、その処置がされると母とは会話もできなくなるので、その前にどうしても会わせて私が納得してからということで、姉は先生に処置を待ってもらっていました。

病院につくと先生は私たち家族3人に説明を始めました。


・抗生剤が全く効かないので細菌性ではないということ。
・ステロイドの大量投与を前日から開始したということ。(一日たったその時点ではステロイドの効果も見られないということ)
・前日と比べるとその日のレントゲンは明らかに悪くなっているということ。
・今の酸素マスクでは限界であり、このままでは呼吸困難になり苦しむということ。
・気管内挿管をしてもしなくても治療法はこのまま変わらないこと。
・医師も特異な肺炎でどう推移するかが想像できないこと。
・脳梗塞の薬(血液をさらさらにする薬)を服用していたので、組織検査ができず(出血が抑えられない危険性が高いから)、確定診断ができないので根本的な治療ができないこと。


そして気管内挿管をした時のリスクは
・意識レベルを落としてしまうので、もし回復できなかったらこれが話ができる最後になること。
・意識して体を動かすことができないので、床ずれになりやすく、筋力が著しく低下すること。
・脳梗塞を起こしても意識がないので感知できにくいこと。
・気管内挿管も2週間が限度であると言うこと(細菌感染を起こしやすくなる)。
・高濃度の酸素を吸入し続けることはかえって肺をいためることになること。
などなど。

もしかしたらもっとあったのかもしれません。

あまりのリスクで到底進んで受けようと言う気にはなりませんでした。

母にはもちろん元気になってほしいけれど、このまま寝たきりになったら・・・・
母よりも4歳上の父が大変な苦労をすることになります。

しかし、このままでは近いうちに呼吸困難で苦しむと言われたら、お願いするしかありませんでした。

そのときにはモルヒネなどの話も出たけれど、まだ1%でも回復する可能性があるのなら少しでも楽に治療に望める方がいいといわれました。

母にはもちろんこんな話をすることはできず、結局3人の選択でこの気管内挿管を承諾しました。
あまりに強く眠らせるのも良くないので、薬の加減が難しいらしく、ぎりぎりで投与するらしいです。
そのために眠りが浅くなると、気管内の異物を感知しすごく暴れるそうで、それを防ぐために手をベッドに拘束されます。その承諾書もサインしました。



その説明を聞いてから母にはじめて会いに行きました。
母はここのところ健康なころの2割ぐらい忘れっぽくなったり、同じことを繰り返したり、問題があるのですが、基本的には意識もしっかりしています。
私を見て、

『来てくれたんだぁ。仕事休んで?』
『新しい家ももうすぐできるんだね。一回は行きたいわ。』

といつもと同じように会話できました。

とにかく母は新しい家を一番楽しみにしていてくれたので、
私は
『●●(息子の名前)が「秋になったら俺がおばあちゃんの所へ遊びに行って、こっちに戻るときにおばあちゃんを連れてきてあげるよ。そうすれば荷物も持ってあげられるもんね。」って言っていたよ。』
と話すと、本当に嬉しそうでした。

しばらく話し、挿管の準備がされるので、外で待ちました。

挿管される前にもう一度会わせてくれるように看護師さんに頼んでおいたので、しばらくして呼ばれました。




そこに入ると、何てことでしょう。。。。


医師や看護士が6,7人が部屋にいます。器具やモニターが運び込まれ、、、、、
母は、先ほども書いたように意識がしっかりしているのです。
こんな用意を意識がしっかりしている母の間近で行うなんてあまりにもかわいそうに感じました。
せめて浅い眠りにつかせてからでよいのではないかと、怒りまでわいてきました。

部屋にはいると母に不安を与えてはいけないと思っていたのに涙があふれてきました。もう我慢できず・・・・
『おばあちゃん、、(子どもが生まれてから、そう呼ぶようになっていたので)、、がんばってよ』
というのが精一杯で、手を握ると、とにかく力いっぱい握りかえされました。

母は、先ほどよりも呼吸が苦しくなっていたようで、顔をしかめていました。

しっかり握った手はこれからどうなるのかと不安だったのだと思います。医師たちが背中で待っているのにいつまでもそこにいられるわけもなく、私は手を半分振りほどくように離すと走って外に出ました。




それからかなりの時間がかかり挿管が終わりました。

今朝の母の様子もあまり変化ないようです。よくもなっていず、悪くなってもいず。
でも悪くなっていないからと喜ぶわけにはいかないのです。
リスクは日に日に高くなってくるのです。






未分類2008/05/24(土)15:50

辛いです。

結局、治療方法にいくつかの選択肢があるわけではなく、その治療をするかしないかの選択で、病院側としては一刻も早くそうした方がいいという感じでした。
私はその治療による弊害が効果以上に多いことを聞いて、避けたい気持ちがいっぱいでしたが、このままだと呼吸困難に陥り苦しむというので施してもらいました。

気管内挿管です。
挿管するには意識があったらできないので、意識レベルを落として眠らせてしまいます。
挿管している間はずっと薬を使い続けて眠らせるのです。

母は私が病院に行った時は酸素マスクはつけているものの、普段通りに会話が出来たのに。
母との最後の会話を思い出すと涙があとからあとから流れおちます。
もちろんあれが最後の会話になって欲しくないけれど、状況は大変きびしいです。

今は携帯なのでまた機会を改めます。
皆さんに読んでもらう為ではなく、私の日記としてきっちり残すつもりです。


未分類2008/05/23(金)07:55

苦渋

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名古屋に帰省中です。
いつもの楽しい帰省ではないので私一人きり。
母の肺炎がよくなりません。抗生物質が効かないものらしい。
治療方法について苦渋の選択を迫られています。


未分類2008/05/21(水)09:02

横浜

今日はネットのお友達のka-koさんと横浜に出かけました。
久しぶりにネットのお友達とのお出かけです。

横浜まではうちから電車で一時間。バスと電車を使うのですが、電車は乗継がないので、楽に行けて好きです。
それでもエルと出かけるときはグリーン車に乗ることにしています。そんなときぐらいチョイ豪華にね。

エルはチャミーちゃんとアンジェちゃんのにおいをかぐとお友達になったと判断、その後は仲良く歩いていました。

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シーバスに乗って赤レンガ倉庫、山下公園をゆっくりしてカフェでランチ。
山下公園は人もワンコがいっぱいで、エルは見つけては吠えるので^^;
こんなとき友好的でおとなしいアンジェちゃんが羨ましいです。


またシーバスで横浜に。
ka-koさんとはたくさんお話できたし、山下公園の満開のバラは堪能できたし、おいしいランチ・・・・
エルもいっぱい散歩ができて楽しい一日を過ごせました。

ところで、今日はキャリーバッグではなく、ふたつきスリング(巾着できっちり閉められるもの)を使いました。
きっちり閉められるので公共交通機関でもつかえます。
キャリーでないので軽くていいかなと思うのですが・・・
ひざに乗せたエルがウニョウニョ動いてちょっと周りの人の目が気になりましたぁ。
エルはちょっといつもと違うもので戸惑っていたようですが、特に騒ぐでもなくお利口にしてくれました。


お出かけ2008/05/17(土)21:13

映画

今日はエル姉と映画&ショッピングに出かけました。
ららぽーとです。

『あの空をおぼえている』を観て来ました。

この映画、岐阜の町(山)で撮影され、母校でも撮影されたときいたのです。
母校のサイトでもそんなことが書かれていました。
全く映画の内容に関しては調べずにそちらに興味を持って出かけたのですが、想像以上に感動しました。
どうもアメリカの児童文学をもとに作られたらしいです。

やっぱりクライマックスは涙がちょこっと流れました。

家に帰って、エル兄が
『どんな話だった?』
と聞くのでだいたいのあらすじを話し、途中まで着たら、

『分かったよ、その先はこうなってこうなって、こうなるんだよね。
で、そんなありきたりな話で涙が出るわけ??』

だって。(~_~;)

そういわれるとねぇ。。

母校のシーンはほんのちょっとで、『たぶんこのシーンだよね』
ぐらいしかわからなかったです。

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引越し準備で、段ボール箱に荷物を詰め始めています。
意地悪なおねえちゃんにこんなことをされていました。


暮らし2008/05/03(土)21:54

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プロフィール

えるママ

Author:えるママ
この写真はかわいいエル。最愛のエルは2013年11月になくなりました。
現在はパパ、ママ犬が腎不全闘病中です。

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